卒業研究(中間)審査会 その弐

審査会の直後にいろいろコメントを記した用紙をいただいた。

あと2ヶ月、何をやる?どこを詰めていくのか?

考え中であります。
ブラッシュアップは確実に進めていく予定です。
また、シナリオを作成(想定)してユーザーテストをやりたいとは思うけど、何処までできるのか分からないのと、テストの知識が自分には殆どない。
インタラクションを確認するぐらいなら、キリが良い時に大学のどこかのスペースを借りてできるので、卒制展のためにもやっておく必要があると思う。

プログラム(ソフトウェア)の仕様書を書く。

了解いたしました。
ぜひやりたいと思います。

どういうルールになっているか、知りたい。

これは確かにプレゼンの進め方が悪かったように思います。
制作の流れと分析→構造の発見の部分に焦点を当てて一気に説明したので、作品のしくみについては殆ど話していなかった。
というか、話せなかったのです。5分では無理です。
仕様書(説明書)を書いてそれを見てもらうことで、次は対応する予定。

アートとしては面白いけど。表示するメリットは?気象情報でなくてもいいのでは?

審査会で応えたことの補足として言うと、出来上がったものがデザインであるかアートであるかという問いは意味がないように思います。
プレゼンテーションで、何処をデザインしたのか何のためのデザインなのかを話したのでそれが答えになります。

この学科に入学以来ずっと考え続けていることでもあるし、非常に興味のある議題だが、正直ある種のデザイン信仰者たちと、デザインとは?アートとは?またその境界は存在するのか?などと議論する気は毛頭ない。
彼らが「アートとしては面白いけどね…」と言ったとき、自分のデザインに対して多大なる自信を抱いているように、アーティストたちも自分のアートに同様の想いを持っていると思う。
こういった発言をするデザイナが居たとしたら、自分の崇拝して止まない社会が如何に限られた狭い世界であるのか気付いていないんじゃないのか。

どんな環境でプログラムした?

Visual Studio .NET 2003 (C++)
Windows 2000
橋本の大山町にある自宅(主に深夜)

この記事の投稿日: 2005年09月28日

コメント

「デザイン」と「アート」に境界があるとかないとか、もはや思想や哲学の領域なので答えは出ないだろうし、僕は評論家じゃないので、それらについて語る「語彙」を残念ながら持っていない。
でも、両者の「差」や「違い」はあると思う。デザイナーとしての僕の中では、その差はかなり明確に「ある」と言える。それが、今の、あるいは、この先の世の中でも通用するかどうかは、自分には「わからん」ですね。

このコメントの投稿者: よしはし at 2005年10月01日01時45分

僕も違いはあると思います。
それらは単純なスカラー値ではなくてベクトルなんだと思います。
つまり、ある行為がアートとしての要素も持ち、またデザインでもあるということは普通にあり得るのではないでしょうか。

このコメントの投稿者: nogami at 2005年10月02日02時58分

世の中に、先人たちの作品の中に、そのようなものはごくふつうに「ある」し、そういう作品はいくつでもあげることはできますね。
それらは、「どちらか」を語るのがばからしいくらいハイレベルな表現であるのがふつうです。

このコメントの投稿者: よしはし at 2005年10月06日20時09分

彼らがどう思われたいのかというのは、また別の話なんでしょうが、少なくとも見てる方は好きなことが言えちゃいますからね。
デザイナーやアーティストが自分のやったことを何処まで公開するのかというのは、そういう意味では興味深い問題だと思います。
もので黙らせる(作品だけ見せて説明しない)というのは力技なんでしょうが憧れますね(^^

このコメントの投稿者: nogami at 2005年10月08日22時16分

先日の中間審査で「アートとしては面白い」とコメント致しました佐藤皇太郎です。
昨日、こちらのページの存在を知り、遅ればせながら私も補足させて頂きます。

まず大前提として、当然ですが、「アート」と「デザイン」の間に優劣はありません。
ただ、同じ作品でもアートとして評価するかデザインとして評価するかによって、採点基準(つまるところ「点数」)は変わってくると思います。
非常に極端な例を挙げましょう。例えば、ピカソの「泣く女」は素晴らしいアートだと思います。でも仮に「この『泣く女』は、気象情報を伝える目的でデザインしました」とピカソが言ったら、どうでしょうか。どう考えても、(その目的のデザインとして)高い評価を得ることは難しいと思います。
一般にデザインには明確な目的があります。もしデザインとして評価するのであれば、「その目的をどの程度、実現できているか」で判断するのが基本だと思います。「デザインであるかアートであるかという問いは意味がない」という立場ですと、評価基準が揺らいでしまうと思いますが、いかがでしょうか?

学科の方針とは異なるかもしれませんが、個人的には、情報デザインコースの卒制で「アート」を作っても良いと思っています(現に私が指導している学生の中にも「アート」を作っている学生がいます)。「これが多摩美の4年間で私が学んだ成果です」と胸を張って言える作品なら何でもアリだと思います。この様な視点から、私は野上さんの作品を「デザイン」というよりは「アート」として高く評価しました。

長文、失礼いたしました。ご参考までに。

このコメントの投稿者: 佐藤 at 2005年10月18日02時53分

>「デザインであるかアートであるかという問いは意味がない」という立場ですと、評価基準が揺らいでしまうと思いますが、いかがでしょうか?

卒業制作として採点するときなど何かしらの評価基準を定めなくてはいけない場合には、先生方によって様々な評価軸があると思います。
その場合には、それぞれの専門領域で評価されるのが順当なのではないかと思います。
例えば石田先生のようにデザイニングが本来専門でない人のアドバイスでも、僕にはとても参考になります。
デザインとして、またアートとして評価する場合には、それぞれ相応の専門性が必要になるのではないかというのが、僕の考えです。

ただ、評価していただけたのは純粋に嬉しいです。
ありがとうございます~

このコメントの投稿者: nogami at 2005年10月21日00時58分

なるほど、「アートと見るか、デザインと見るかは、評価者に任せる(評価者によって変わる)」という理解でよろしいでしょうか。
その一方で、「制作側の意図としてはアート(またはデザイン)であるから、アート(またはデザイン)として見て欲しい」という(作り手の)見解もあるのでは?と私は考えていました。

ところで、「カメラを使って画像認識し、新しい面白さを提供する」というメディア・アートを私もこれまでに幾つか作ってきました。
例:「画像認識タロット占い」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0502/10/news061.html
http://www.namco.co.jp/newtrial/tarot/
ほかに、リアルタイム系の作品もありますので、いつか紹介できたらいいな、と思っています。
それでは。制作がんばって下さい!

このコメントの投稿者: 佐藤 at 2005年10月22日02時51分

>画像認識タロット占い
タロットカード自体もデザインの対象にしているのは面白いですね。
そういえば、ウェブアゴラで紹介されているのを幾つか拝見しました:-)

がんばりたいと思います。
補足ありがとうございました。

このコメントの投稿者: nogami at 2005年10月23日04時38分




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